Event Description
神事芸能として日本各地に古くから伝えられている神楽は、中世以降、田楽や猿楽などの要素も取り込みながら発展し、宮崎県においても二百を超える地域で大切に保存継承されてきました。宮崎の里に息づく神楽の魅力を感じてください。
【能にみる神々の舞】
1944年、東京都生まれ。國學院大學文学部史学科卒業。
公益財団法人能楽協会シテ方金春流。重要無形文化財総合指定保持者。
8歳で初舞台。以後演能活動を行いながら、新作能(馬場あき子作「晶子乱れ髪」・石牟礼道子作「不知火」他など)に出演、鎌倉歌謡「早歌」(蒲生美津子構成)の復元、岡本章主宰現代演劇集団「錬肉工房」(「無」にてイタリア・サンタカンジェロ演劇祭参加他)との共演、イギリス・ブリテンフェスティバル演劇祭(外国人歌手によりオペラ「カーリューリヴァー」)の演出など、他分野と交流。
第27回観世寿夫記念法政大学能楽賞受賞。
著書「能と義経」、著作「能の旅」・「能と身体」
【米良(銀鏡)神楽の特色と魅力】
1953年、神奈川県生まれ。國學院大學文学部文学科卒業。専門は「民俗学」。文部科学省文化審議会専門委員、無形文化遺産保護条約に関する特別委員会委員などを歴任。
現在は、宮崎県のみやざきの神楽魅力発信委員会委員長、神楽保存・継承実行委員会委員長として、みやざきの神楽の保存継承や魅力発信にも携わる。
その他、独立行政法人日本芸術文化振興会の委員や中国の南開大学、インドのジャワハルラル・ネルー大学の客員教授などを務める。
銀鏡神楽の概要
昭和52年、西都市銀鏡地区に伝承される銀鏡神楽は、神楽としては宮崎県で初めて、全国的にも2番目の事例として、国の無形民俗文化財に指定されました。毎年12月に斎行される銀鏡神社大祭で、境内に外神屋とよばれる舞場を設け、夜を徹して33番を奉納します。
銀鏡神楽は、霊峰龍房山の山岳信仰をもとに、修験者がもたらしたと伝わります。その後、天和年間(1681~1684)に銀鏡神社社家 濱砂淡路守重賢が鵜戸山道場で「鵜戸神楽」と「鵜戸鬼神」の舞を修得して持ち帰り、従来の神楽に強く影響を与えたことで、今日の舞様式の原型となりました。江戸初期頃から唯一神道の教義を多く受容しますが、修験道の影響も根強く、問答や唱教の端々にその片鱗が見受けられます。また、焼畑などに代表される山間地独特の生活要素が色濃く反映されており、神前に供えられた猪頭や、狩猟の様子を面白可笑しく演じる式32番「ししとぎり」など、特に狩猟に関する演目や神事が顕著です。
”銀鏡”という少し変わった地名について、地元には次のような逸話が残されています。曰く、『遠い遠い昔、初めて竜のような己の容姿を目にした磐長姫命は、驚きのあまり手にした鏡を投げ捨ててしもうた。そうして龍房山山頂の大木に引っ掛かった鏡は、周囲を白く照らすようになったとさ。このとき、夜でも昼のように明るく照らされた村は「白見村」と呼ばれ、投げられた銀の鏡にちなんで、やがて「銀鏡」と書くようになったげな。』
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